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​グランプリ

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Mating Butterflies

中村 奈津希  Natsuki Nakamura


2024
456×334×26mm
Oil on canvas

作品コンセプト

キャンバスの絵の具を削っていると、夏に沢山みた蝶々の交尾を連想した。そこから蝶々の輪郭を追った。

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優秀賞

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変調

岡村あい子 Aiko Okamura


2024
5分0秒(ループアニメーション)
アニメーション

 

作品コンセプト
いつもの帰り道。何度も通った変わらぬ景色は、ある晩にその様子を変えた。今にも飲み込まれそうな失望をたたえる闇に、私は次の一歩を躊躇う。人生のありきたりな絶望を表現した、絵画的ループアニメーション作品。

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特別賞

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日常の断面

丸山咲 Saki Maruyama


2024
910×727mm
キャンバスに油絵具

作品コンセプト

私は画面内の人物と鑑賞者の間の精神的距離を空間に置き換えて描いている。


人と人の間には空気や言葉や液晶など沢山のものが介在していて、それを孤独に感じる事も、救いに感じる事もある。そんな瞬間を描いた。

 

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奨励賞
OJUN賞

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彼誰星

並木咲 Saki Namiki


2024
1000×727mm
キャンバス、油彩、オイルパステル

作品コンセプト

彼誰星とは明け方に見える金星を指す言葉である。
東洋では古くから日の出と夕暮れの時間を日常と非日常の境界線と位置付け、それらは曖昧・不定形とされている。私たちは移ろうものに対し敏感に生活しており、私はそれらを描く行為によって今生きる世界をみようとしている。

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諏訪敦賞

作品画像1.png

destraction

Mモト Emumoto


2024
910×727mm
キャンバスに油絵具、アクリル、モデリングペースト

作品コンセプト

美しく整列されたものや美しく造形されたものを破壊する快感や「美しいを壊したい」と思うその無意識下の衝動的感情における背 徳感を基に、量子論の観点から破壊によって起こる人間の精神的変化や記憶や情報が与える内在的な影響を起点として制作している。


情報の破壊によりノイズを与えることで見えなくなったものを目の前にした時に、脳がその先を『補完、想像、予測』をすることは、幼き子供たちに何者にでもなれる可能性があるのと同じであるように見えないということは何ものにでもなりうると無限に広がる幅を得て、不可知で茫たる新しい可能性が生まれる。


その情報の変容と画面上の破壊をリンクさせ、自らの手で破壊を繰り返す。

 

つまりグレーをグレーのままで良いのだと受け入れるという曖昧で変容的な態度は、同時に全てのものに可能性を与えることの出来る美しさであるとこの世に静かに示唆する。

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沓名美和賞

作品2.HEIC

無題

三瀬凌雅 Ryoga Mise


2024
455×380mm
oil on canvas

作品コンセプト

事実がみえないような絵が好きです。


絵画や芸術といったなまえがなかった時代のそれら、絵ということばをしらずに木の枝で地面を引っ掻いたあの瞬間に行きたいです。

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長亭GALLERY賞

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皮膚の下にいる私

少女 SONYO


2024
910×727mm
oil on canvas

作品コンセプト

人に会い、誰かとコミュニケーションを取りながら生きていくすべての瞬間 に私は、自分の外側の姿しか見せられない。


私は、私の皮膚よりも ずっと下にいる私を見せたい。皮膚の下で流れている血液、動いている数え切れない細胞、それらよりも更に深くにいる私にまであなたが辿り着けるように。

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審査員コメント
 

OJUN氏

中村奈津希「Mating Butterflies」

 掻き落とす、削り落とす、掻き残される、かろうじてへばりつく、縦横に引きずる筆やスクラッチが過去の記憶を掻き起こす。絵具を削りながら画家は蝶の交尾を想起したと言う。カンバスに蝶などいない。画家の想念は重なる二匹の蝶の羽を透かして自身の後背から忙しなく動く肩腕指先をなぞりつつ輪郭する。描く行為が“思い出”を調伏してイメージを産み落とした。

 

DUAN HAILIANG「帰郷」

 街や路地、そこに行き交う人。その会話。声。物音。冬枯れの田畑。風。空。きれいな映像が続く。見知らぬ土地や言葉を越えてひた寄せる光景は潮騒を見聴きするように心地よい。“原点に戻るために”と作者は記す。日本では故郷は“帰るところにあるまじや…”とも“身捨つる祖国はありや”とも嘆いて久しい。うらやましい。

次は、回帰したその通りの辻や男女の会話から、風の音や空の一角から思いもよらぬ光と時間を追ってほしい。目に容易になじまぬ光景を見せてほしい。

 

岡村あい子「変調」

 一歩を踏みとどまる躊躇いと映像の微動は同位しない。そのズレ、そこを見せられて効いた。実写映像と違って描きの微震微動はそこに留まざるをえない動態を表出する。気が滅入る暗澹たる画面もさらに微細にゆすれているけれど“情動”とも違う動きのズレがある。“時間と場”の震える絵は、文字通り(ループ)、生き地獄だ。とてもイケナイ実感。

 

Mモト「destraction」

 全体印象するやるせない風情と暴力的なストローク、グレー色についてのコメントがおもしろい。

以下は私のグレーについて。グレーによって見え、感覚する画像に可能も不可能も感じない。ちゃんとグレーか?しっかり灰色か?という指さし確認があってその確認が取れたら次はそれはなぜか?と問い、隣接か乖離したところのまた別なグレーや他の色、地肌が見えているから、いまようやくこのグレーなり灰色が見えたと納得するまでの電光石火の見回り。白でも黒でも、そんな即物的で事務作業にも似た塗や描きに没頭するに限ると思う。ひと色に接続して輝かせたりあるいは褪色させる周縁は無尽だ。手に負えない。

破壊するというより破壊されてある身と絵ではないか。可能性も未来もないが実質無垢というできごとだ。

 

丸山咲「日常の断面」

 見ている先のモノを一部遮蔽しているものは自らの手か。対象となる事物はまさに断面であり断片として見える。対象がこのように隠されたり部分的に遮蔽されるのは意図的だし遊戯的だ。アニメを見ているようだしスマホで自分の手映りを見せられているようにも思う。見えることのいろいろがある。この絵を見る者はいろいろなことを直ちに思い出すにちがいない。そのいろいろのために世界を切り刻む。画家は絵の中のことを絵の外からしか描けない。刻まれている断片もそれを刻む手もろとも画家の目と手は外から差し伸べられている。その一連の順列が渾身傾けてていねいにしつらえてある。

 

三瀬凌雅 無題

 形がいきなり見えたり絵具の溜まりや盛りが目を突いて来たりそれらの間からまたわからない描きや塗が迫ってきて小さいけれど忙しい絵だ。でもこの騒々しさは溌剌としている。何度もこの絵の前で足止めさせられた。“~絵ということばをしらずに木の枝で地面を引搔いたあの瞬間に行きたいです”。うん、でもそれは無理だから観念して、自分の描いたり引っ掻いたりする挙動の挙句の果てをたっぷり時間をかけて発見してください。

絵を描くまでの実に悠長な時間!衝動から思惑、諸々道具立てそしてやっと「絵」を開始する。岩板に手を置いて顔料を吹きかけていた当時からその工程はさほどかわらない。猿の気まぐれとは始発から線路が違うんだ。

 

並木咲「彼誰星」

 誰そ彼(たそがれ)と同じようなものなのか。明るさ、時刻ではなく星にもこのような呼び方があるのをこの絵で知った。この絵が審査の時に自分まで約2,5メートルくらいのところの壁に掛かっていてなぜか気になって仕方ない。近づいてみると絵の具の滲み、撹拌、盛り寄せが視覚的に見て取れるだけでどうということもない。それでまた絵から離れて席に戻るともやもや見えてくる。この画家がどういうふうに絵を描いているのかとても気になった。画家と絵の間の途中には何が起きているのか。どのような道中を行き来しているのか、なにがそこに働いているのか。この画家は描くことと見ることのつなぎや切断、並行をどういうタイミングで切り替えて絵を描いているのだろう。黄昏ている場合じゃないくらい大きな謎である。

 

少女「皮膚の下にいる私」

 この絵の外に同じく絵を寄せたり継いでみたらどう見えるだろう。あるいはそのつなぎや間隙に全然別な事物が介入したりして。以前それに近いこの画家の展示を見たことがあったのだが…単管パイプを組んでそこに絵を磔けるのは思い切った展示だと思ったがその先の舞台に上がっていま立ちすくんでいるのではないか。コンペでボリュウムのあるインストールが難しいならば一枚絵で闘うしかないけれど、それなら絵が内と外からいろいろな支えや加勢を得たほうがいい。筆触と色彩のそれも限られた範囲のなかでのバトルは戦い方が単調になる。アトリエにいる画家は孤立無援だが実は無数のモノたちの出入りがあって絵は描かれて見える仕組みになっている。いま立っている足元から辺りをよく眺め半歩踏み出して。

 

コノハ「沈まぬ船」

 画家が絵を描くワケがこの絵の場合、一つの交換が成立していると思った。愚図愚図する情とワニの描きの処方が交換されていると思った。絵の具や技法の物理的実際的な要請による執拗と観察が画家の“内心”を越えてあらぬ行方に導き到達させている。絵はこう描きたい。

 

諏訪敦氏

 審査の回数を数えるごとに、現代アートの領域で期待される新人の、特に小品による表現の現在を確認することの出来る場として、「長亭GALLERY展」は定着した感がある。腕に覚えのある若手たちはファイナリストたちを注視しているし、各美術系大学の卒業、修了のタイミングを前後して応募する者が大部分だが、ときには教育機関の外側からの新人も現れてきた。応募者それぞれにとっての初期作として、将来記録されるに違いない、応募作を眺めるのは年末の楽しい仕事だ。

 

 各受賞者について所感を述べる。グランプリの中村奈津希は、意識を後退させた対価として得られる、ストロークの鮮度を失わせずに、いわば意識的なタブローへと分厚い描画層を与えながら昇華させるという、困難な試みに挑んでいるように思えた。優秀賞の岡村あい子は、絵画が優勢な本展において初の映像作品による受賞者だ。絵画から展開し発想されたアニメーションからは独特な寂寥感が漂う。敢えて大きく動かさないという思い切った作風。それは表象化しにくい「気配」を感じさせることに取り組んできた、岡村なりの回答なのだろう。特別賞の丸山咲は、キャラクターに日常の機微を演じさせ楽しませてくれた。至近距離にあるモノ越しに覗かせる絵作りで、たとえ隔たった属性の鑑賞者に対しても、分け隔てのない親密さを感じさせることに成功している。奨励賞の三瀬凌雅、並木咲は共にみずみずしい感性が魅力だ。世界のあらゆる現象、そして描線のすべてはかけがえのない、一回性のものであることを思い起こさせてくれる。コンクール審査の方式とは相容れないが、この二人に関しては多くの過去作品とともに総合的に評価をしてみたかった。

 

 私の個人賞としての奨励賞は毎年、完成度を問題にせず、その時点では不安定な作品であっても、スケールの大きさを感じさせる応募者を選ぶように心がけている。それは一昨年に選んだ時点の朝長弘人にも感じたことだった。そして今年選んだMモトは、まだ学部生であるにも関わらず、シンプルな見え方の絵画の中に複雑な階層を拵えることで、なんとか強度を与えようとしている探究心に感じるものがあった。

 他に、私が賞に値する存在と思い、候補に推した応募者は折笠鈴と坂本皓平だった。

 

沓名美和氏​

 今回、応募された作品はどれも素晴らしいものが多かったのですが、そのなかでも岡村あい子さんの作品はアニメーションを絵画の技法として取り入れた点が挑戦的でした。

 静止画である絵画に時間の動きを与えて「絵画を動かす」という行為は、本来、絵画にはないゆらぎや変容性を生み出すことにつながります。

 モチーフとなっているのは岡村さんの日常や自分自身が棺に収まる姿などであり、「わざわざカメラを構えて記録しない風景」という点で共通しています。アニメーションをループさせて展示することで、ぼんやりした日常のズレが浮かび上がってくるようです。

現実では止まっていた人や出来事をアニメーションによって動かすことで、時間を巻き戻して再構成しているともいえるでしょう。作品を通してもうひとつの未来を見せてくれるような希望を感じました。​​​​​​​​​​​​​​​​​​​

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審査員により受賞者は以上になります。

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人気賞

来場者一人一票で、票数が一番多い作家さんが人気賞を得る。

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hellowakana


2024
470×420×550mm
木・ロープ・鉄・布・糸・石・石粉粘土

作品コンセプト

忘れるべきでない自身の純粋な感覚を、新鮮なまま残す・再起させる為に「自分を捕まえる罠」を仕掛け幼い自分を誘き寄せる事をしています。これらは「住」に含まれる内装装飾とそれらに付属する幼少期の体験から生まれた作品です。保育園のお昼休み、私は外で遊ぶ子を廊下で見ながらビニール紐で三つ編みを編みました。カバンフックに合わせて横並びで競争するお友達。少しの砂ほこりと木の香り。人を見守り編み物をする、お祈りの感覚がありました。

 

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​入選作品

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